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秋田ものしり博物館
ようこそ
秋田ものしり博物館へ
このページは『美の国秋田』に来たくても来れない方のために少しでも秋田のことを知ってもらいたいと願ったページです。
このページを開いて読み終わった頃にはもうあなたも秋田人!(パスポートも必要ないし、関所もありません)
最新版(平成18年12月3日)
久々にモテテ困蔵の登場です。
今回は「納豆は秋田が発祥地」ということで納豆がテーマです。
皆様方が秋田で納豆といえば「秋田音頭」で有名な能代の檜山を思い浮かべるでしょう・
そうそう!わら苞に入れたものが主流です。地元産大豆を使用した大粒で固い昔風の納豆です。
しかし由来は後三年の役にさかのぼりるようです。(困蔵氏は『ふるさと検定』を
受験しましたので詳しいのだ!エヘン
金沢棚(これ読めるかな?)を含む横手盆地一帯を戦場とした戦いにさかのぼるのです。
今回はいろんな納豆のパンフレットをみて少しずつ使わせていただきました。
(メーカー様ありがとうございます)
まず、納豆発祥の碑が秋田県横手市にあるとか・・。ありました下の写真をご覧ください。
チョットみずらい方々に困蔵が読みくだいてあげげましょう
納豆発祥の由来
金沢の棚を含む横手盆地一帯を戦場と
した後三年の役(1083〜1087)は、 
八幡太郎義家と清原家衡・武衡との戦い
で歴史に残る壮絶なものであった。
この戦いの折、農民に煮豆を俵に詰めて
供出させた所、数日をへて香りを放ち
糸を引くようになった。
これに驚き食べてみたところ、以外にも
おししかったので食用とした。
農民もこれを知り、自らも作り後世に
伝えたという。
納豆のことより後三年の役に興味を持っちゃって!でもやっぱい気持ちを納豆のほうに戻して・・・・
ではどんな食べ方があるでしょう?
@ 回転寿司でたべる「いか納豆」
A ぎょうざの皮でつつんだ納豆ぎょうざ
B 納豆の天ぷら
C たまごとまぜて納豆ごはん→これが一番シンプル
D 納豆サラダ
E 困蔵が好きな納豆カレー
F 直接味噌汁に入れる納豆汁
G う〜んわからない
とにかく納豆は体にいいのです!
どれだけ良いって!
食べてみると分かります
さぁ〜今日も納豆パワーでがんばるぞ〜!
モテテ困蔵でした。

(平成18年8月19日)

先日終了した138万人動員、大盛況だった竿燈祭について今回もモテテ困蔵が語り部となり進めます。
まずは竿燈まつりの始まりから・・・・「いろんなところから情報もらってます。

竿燈まつりの起源は諸説あるが、古くから庶民の間で行われていた素朴な
七夕行事
「ねぶり流し」が原型だと考えられている。
庶民の無病息災を祈願する行事でした。
久保田城(現在の秋田市の千秋公園)のふもとに流れる旭川の
外沿いに形成された「外町(とまち)」(内町は侍町)の威勢の良い職人
商人らを中心とした差し手(竿燈を差し上げる男衆のこと)の力自慢
や技の祭典として発展。時代とともに祭具も規模も大型化し、華やかさ
を増した。
現在は竿燈も演技性の高いお祭りとして親しまれておりますが、
幸せを祈願する要素はいまでもしっかりと受け継がれております。

御弊・お供餅交付の儀式の様子

御弊        御供え餅
次は歴史です
ここはかなり長いので、疲れた方はとばしてください。
竿燈史年表
江戸時代 1602年(慶長7年) ■佐竹義宣湊城に入る
1604年(慶長9年) ■久保田城落成
1629年(寛永6年) ■通町・茶町・上下肴町・米町・戸嶋町・城町・  酒田町・鍛冶町などの町割りができた。
1651年(慶安4年) ■秋田でも木蝋燭(ろうそく)が造られ、度々江戸や京都に奉献された
1722年(享保7年) ■七夕に高桃灯を持って町々を歩くことは固く禁ずるとのお触れがでる
1723年(享保8年) ■湯沢の七夕がこのころから始まる
1751年(宝暦元年) ■このころから一般庶民にも蝋燭が用立てできる
1785年(天明5年) ■名君といわれた佐竹義和が10歳で藩主となる
1789年(寛政元年) ■作り灯篭と称して竿燈を藩主義和にご覧にいれたと伝えられる
1793年(寛政5年) ■菅江真澄の「牧の朝露」に竿燈の記述がある。
1814年(文化10年) ■「風俗問状答」に竿燈の記述がある。
1831年(天保2年) ■藩主義厚が上通町で竿燈をご上覧になる。
明治    1880年(明治14年) ■明治天皇のご巡幸に際し天覧に供すべく、大久保鉄鐵作が「竿燈」として願い出、土手
 長町で演技をご覧にいれた。
1903年(明治36年) ■秋田市に電灯がともり、竿燈も外町を追われ楢山グラウンドで行われた。
 出竿本数16本
1905年(明治38年) ■出竿本数4,5本となる
1908年(明治41年) ■ラムネ会社が竿燈を出した(広告竿燈のはじまり)
■皇太子殿下(大正天皇)ご来県、38ヶ町から64本が出竿
大正  1913年(大正2年)  ■竿燈祭が新暦1ヶ月遅れの8月6日となる。                          ■東宮殿下(昭和天皇)が竿燈を御台覧
昭和    1931年(昭和6年)  ■竿燈会が誕生。初代会長に早坂吉助が就任                           
■竿燈妙技会が初めて行われた。
1933年(昭和13年) ■東京三越に出竿(県外出竿の始まり)
1938年(昭和18年) ■この年から戦争のため竿燈まつりを中止
1946年(昭和21年) ■竿燈まつり復活
1953年(昭和28年) ■日専連全国大会(新潟)に出竿。これを契機に県外出竿が増加した。
■幼若が誕生
1954年(昭和29年) ■竿燈まつり2日間となる
1956年(昭和31年) ■秋田駅に置竿燈を作る
1957年(昭和32年) ■英国、サットン・ゴールドフィールドでのボーイスカウト世界ジャンボリーに出竿
1958年(昭和33年) ■夜の演技会場が広小路となる
1959年(昭和34年) ■妙技会でハツの個人戦が行われた
1964年(昭和39年) ■竿燈まつり3日間となる
■東京オリンピックさよならパーティに出竿
1965年(昭和40年) ■竿燈会が秋田県文化功労賞を受賞
1966年(昭和41年) ■竿燈祭実行委員会が誕生
1970年(昭和45年) ■大阪万国博覧会に出竿
1972年(昭和47年) ■夜の演技会場が山王大通りとなる
1976年(昭和51年) ■サンディエゴ(アメリカ)に大若20本出竿
1980年(昭和55年) ■国重要無形民族文化財に指定
■女性参加問題が起こる
1982年(昭和57年) ■夜の竿燈に「ふれあいの時間」を設けた
1985年(昭和60年) ■友好都市、蘭州市(中国)に大若5本を出竿
1986年(昭和61年) ■妙技会に自由演技種目を取り入れた
1987年(昭和62年) ■姉妹都市パッサウ(ドイツ)とユトレヒト(オランダ)のジャパンウィークに
 大若5本出竿
1988年(昭和63年) ■竿燈まつり4日間となる
平成    1989年(平成元年) ■妙技会種目に囃子方を加えた                                    
1990年(平成2年) ■秋田県人会創立30周年を記念しサンパウロ(ブラジル)に大若5本出竿
■竿燈まつりの出竿本数が200本の大台に達した
1992年(平成4年) ■ねぶり流し館が落成。竿燈会事務所を置く
1994年(平成6年) ■ミネアポリス(アメリカ)でのジャパンウィークに大若10本を出竿
1995年(平成7年) ■竿燈会場の愛称が山王大通りから竿燈大通りとなる
■ねぶり流し館において、土曜日・日曜日の定期公演を実施
1996年(平成8年) ■ベネチア(イタリア)でのジャパンウィークに大若5本出竿
1997年(平成9年) ■フランスにおける日本年にパリで大若5本を出竿
2000年(平成12年) ■ハバナ(キューバ)でのジャパンウィークに大若5本を出竿
2001年(平成13年) ■ホノルル(ハワイ)でのホノルルフェスティバルに大若10本・小若2本を出竿
2002年(平成14年) ■ソウル(韓国)への秋田市観光誘客セールスミッションとして、大若3本を韓国初出竿
2003年(平成15年) ■ホノルル(ハワイ)でのホノルルフェスティバルに大若3本出竿
2004年(平成16年) ■香港でのニューイヤーナイトパレードに大若5本を出竿
■ホノルル(ハワイ)でのホノルルフェステバルに大若6本を出竿
■ロンドン(イギリス)でのテムズ河フェスティバルに大若5本を出竿
2005年(平成17年) ■愛・地球博(愛知万博)パートナーシップ事業、祭座ニッポンに大若10本出竿
■日韓友情2005記念イベントに大若5本出竿
2006年(平成18年) ■香港でのニューイヤーパレートに大若5本出竿
■バンコク(タイ)で開催されたイベントに大若5本を出竿


それでは歴史を学んだ後は、やはり「技」の紹介でしょう。
モテテ困蔵君は「柔道」『相撲」「プロレス」の技なら結構知っていますが竿燈はなんといっても「妙技」といわれるもの!
一つ一つ紹介します。
流し
5つの基本技の最初のパート。
風の流れを読み、演技スタートのタイミングを
決めるペースメーカーでもある。
風が吹いても体の姿勢を崩さないようにしっかりと
竿を持ち、バランスを保つ。次の差し手が差しやすいように
いい位置を保ちながら次に流す(渡す)
平手
流しの人から竿を受けてから、手を高くまっすぐに差し上げる。
体全体が大きく見えるように足を開いて風に向かってがっしりと
構え、手の指を大きく広げる。
次の差し手が受け取りやすいように、竿のバランスを保ちながら、体の後ろ側に手をぐっと持っていく

平手の人から、平手の形で竿を受け取る。平手から受け渡された体勢と竿のバランスをそのまま維持しながら、ゆっくりと額に竿を流してゆく。額に竿をのせたら、体と竿燈が真っすぐ正面を向くように維持。足を開いて踏ん張る。風が吹いても半身で耐える。

額の人から平手で竿を受け取る。前の人から維持されたバランスを崩さないように静かに肩に流していく。竿の位置をずらさないように注意を払いながら静止する。あくまでも竿のバランスを保ったまま、肩から流しの姿勢に移し、次の差し手に受け渡す。

肩の人から平手で竿を受け取り、腰の位置まで竿を流して手を離す。「腰」は目線から竿が離れるので竿燈の軸が左右にずれないようにもっとも注意が必要な技。竿燈が下に下がる分、余計な動きをしないように常にバランスを保つことが重要。

さあ、これであなたも竿燈通になったことでしょう。さらに竿燈の大きさ・重さを
説明するとまるで「清水の次郎長の大政・小政」(中政はいない)のように

大若 長さ12m 重さ50kg
中若 長さ9m 重さ30kg
小若 長さ7m 重さ15kg
幼若 長さ5m 重さ5kg
軽々持っているようで、大変な重労働です

そしてもっともっと竿燈知識を極めたい方、
秋田市民族伝承館『愛称:ねぶり流し館』のホームページをみてネ。
困蔵君が「ペチャペチャ」しゃべるより写真も綺麗だし即入館したくなりますよ!
見た帰りにはもちろんスーパーランドヤマトへ
「いらっしゃい。いらっしゃい!!」

次回お楽しみに!!

      
第1回(平成18年7月24日)

■秋田竿灯祭 ■なまはげ
天の川が降り注いだ
ような光が大通りを
埋め尽くす。
米俵をかたどった提灯を
下げ、先端に厄払いの
御幣を付け稲穂に見立てた
竿を男が自由に操る。
なまはげは、大晦日に秋田県
男鹿市と三種町の一部の各家々
で行われる伝統的な民族行事。
鬼の面、ケラミノ、ハバキを身に
付け、大きな出刃包丁を持った
なまはげが家々を訪れ、荒々しい
声を発しながら怠け者、子供や
初嫁を探して暴れる。主人は
なまはげをなだめながら丁重に
もてなす。
■稲庭饂飩 ■きりたんぽ
秋田の名産「稲庭うどん」は
全国三大うどんに数えられる
ほどの美味麺。半透明の
つややかな麺、さらりとした
舌触り、つるつると滑らかな
喉越し。
その昔、きこり達は、仕事道具の
ひとつであるナタの背でコツコツ
とたたいて半練りにした杉の木の
棒に巻きつけ適度に乾かしたそれは
武家の従者が担う槍の刃の部分に
つける保護具「たんぽ」の様であった
。これが「きりたんぽ」の始まりと
言われております。
     
ちょっとは物知りになったかな
では今回のテーマは秋田を知るには、この民謡を知ることから始まり、踊りを学ぶにもここが原点といわれる
秋田音頭についてです。
事前に館長のモテテ コマ蔵として意地で調べたところ意外な質問が寄せられました。
1 いったい誰が作ったのか?そのルーツは?
2 いつ頃の時代のものか?
3 本当は何番まであるのか?

いろいろ調べたところ「広報あきたオンライン」に詳しく記述してありました。その一部抜粋すると・・・・・

〈ルーツは?〉
秋田藩主佐竹氏の菩提寺である天徳寺には12代にわたる歴代の藩主の肖像画を所蔵しております。
初代義宣候以来そうそうたるつわもので、最後の藩主で12代義堯候だけが明治維新を向かえ洋服姿、
そしてもうひとりだけ冠をかぶらず、右手に扇子をもちリラックスしている(?)殿様がおります。
2代藩主義隆候。寛文3年(1663年)義隆候は久保田城下に流行していた踊りをみることになり、
城下の皆も寺町(秋田では古くからお寺のある街をこの名前で呼んでおり現在もま町名として
残っております)にある鱗勝院で踊りの練習をしていたところ、ある者が柔術の動きをとり入れた踊りを
振付けたことが「質実・勇壮な踊り」
秋田音頭のもとになったと伝えられている。
では誰が詩を作ったのか?
作者は荻津勝章と推定され地口と呼ばれるユーモアや風刺を利かせた替え歌を創るという特色が
あったからだとか。
秋田音頭には
歌・踊り・芝居・文芸といった様々な分野にわたる芸術の魅力が短い時間の中に見事にミックス!    
素朴さの中に「小さな総合芸術」とも呼ばれる秋田文化の粋が詰め込まれている。
「何番まで?」の質問には通常4番までと答えたいのだが「地口」もあり20番説もある。
では!
秋田音頭をご堪能ください。(ゴメン・ゴメン詩だけですが)
秋田音頭
唄(囃し)ヤートセ コラ秋田音頭です                            
一。 コラいずれ これより ご免こうむり 音頭のむだを言う
   (アーソレソレ)
   当りさわりもあろう減れども さっさとだしかける

二。 秋田名物 八森ハタハタ 男鹿で男鹿ブリコ
    能代春慶 檜山納豆 大館曲げわっぱ

三。 秋田の国では 雨が降ってもカサ傘などいらぬ
    手ごろの蕗の葉サラリとさしかけ さっさと出て行くがえ

四。 秋田の女 何して綺麗だと 聞くだけヤボだんす
    小野小町の生まれた在所 おめはん知らねのぎゃア    
           

どうだったかな?節が分からない?そんな方は当社ヤマトのお店に来てください。館長のモテテ コマ蔵が
アカペラで唄ってさし上げます。                                              
あるホームページにも書いてありましたが、秋田音頭は「日本語のラップの元祖」とか・・・・。ちなみに    
ドリフターズの「のってる音頭」はこの替え唄だとか!
最後に20番まで知りたい方、是非メールを寄せてください。次回のさわりでご紹介します。
次回は8月3日〜6日までの4日間開催の竿灯祭の歴史と
「大町ニューシティ」のそばにある「ねぶり流し館」の紹介です。

ヨロシク!


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